ガンボを食べる
もう今日は満月だ、あの”チキンガンボ”を食べたパーティーの空には細い月だったな。 4階建ての古いアパートの屋上からは、そこが山手に建っている具合で芦屋の街から大阪のビルの灯りまで見渡せた。
「俺たちのルーツはアフリカなんかじゃなくて、奴隷船の船底なんだ。そこが俺たちの世界のはじまりなんだ。」 そんな言葉だったかな、カリブ海出身のグリッサンという人が宣言したのは。
もちろんそんなことを思い出すのは暗くて見えないチキンガンボの皿をまさぐっているからだ。 「ガンボ」はアメリカ南部ルイジアナ、流れてきたフランス人たちがフライパンでルーを炒め、スペイン人がタマネギをきざみ、そこに奴隷として連れて来られてアフリカン、ネイティブアメリカンのリズムも煮込まれ、トマトがつぶされ、スパイスが挽かれ、、、、ガンボ。 ルーツは入植船であれ奴隷船であれ海賊船であれ、みんな絶望と希望と混乱の船底にあるんだ、みんなそこから始まったんだ。
モロヘイヤスープ
毎週土曜日のパン直売日、パンコウバ前の八百屋さんからモロヘイヤを分けてもらった。
とても青々として美しいモロヘイヤだ、思いたってスープにすることにした。 夜のパン仕込みの途中だから簡単に、、、鶏肉を油で炒めて、塩・コショウをする。スープ鍋にお湯を沸かし(あればスープストック)さきの鶏肉と、これでもかとみじん切りしたモロヘイヤを入れる。 鶏肉を炒めたフライパンでニンニクをかるく炒めてスープに入れる、スープ鍋をすこし煮て出来上がり。 モロヘイヤはたっぷり入れよう、3人前で一束ぐらい。
パン・デュカとモロヘイヤスープ、暑い夜がエジプトの夜となる。
Dukkah
Dukkah デュカをブレンドしたパンを焼いたので、そのデュカのレシピを書いておきます。
ヘーゼルナッツ、アーモンドなどお好みのナッツ(ローストして粗く砕く)20g
ゴマ 20g、コリアンダー10g、クミンシード7g、フェンネルシード1g
ブラックペッパー少々 天然塩を少々。これらをよく混ぜる。
デュカはエジプトのミックススパイス。 エジプトに行って本場でならったわけでもないのですが、このデュカをオリーブオイルとともにちぎったパンにつけて食べたりするようです、 このときのパンはアエーシ、ピタににたフラットパンですね。 エジプトの人は鳩肉好きらしく、デュカをまぶした鳩肉のグリルなんていうのもあります、フェタチーズのサラダにもおいしそうですね。 あぁ、カイロの迷宮のような路地を歩きたい。
見よぼくらパン屋の旗
あるもんで繕屋、つくろい屋をはじめたおもんちゃんが、パン屋の旗を縫ってくれた。 なんか、それを見たら妙に安心した、もうこれでどこででもパン屋ができるって、、、道端でも、公園でも、誰かさんとこの軒さきでも、海の浜もいいな、 「パン屋」の旗あげて。
ぼくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布(はぎれ)をつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し
台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後(あと)へひかない
「暮らしの手帳」の編集長花森さんが1970年10月号に載せたマニフェスト。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/publication/hanamoriyasuji.html
梅が実る
その梅林は、友人の父が亡くなる前に竹林を開いて植たものだそうだ。きっとまだ苗木から数年しかたっていないだろう、木の背丈は僕を追い抜いたぐらいだ。 三列にならんで20本ほど、誰も世話をする者がいなくなって枝は四方に伸び放題、枯れてしまった木もある。
”あそこは風が通らないからなぁ、だめだろ” と年老いた友人の母はもう決まったように言い放つのです、そんなぁ、、、それでもポツポツと木になった梅を取っていると、宮澤賢治の「虔十公園林」を思い出した。
”あんな処に杉など育つものでもない、底は硬い粘土なんだ、やっぱり馬鹿は馬鹿だとみんな”に云われていたケンジュウさん、 ”虔十もよろこんで杉のこっちにかくれながら口を大きくあいてはあはあ笑いました。 それからはもう毎日毎日子供らが集まりました。 ただ子供らの来ないのは雨の日でした。 その日はまっ白なやわらかな空からあめのさらさらと降る中で虔十がただ一人からだ中ずぶぬれになって林の外に立って”いたケンジュウさん。
この梅を植えたお父さんは、どんな夢を見ていたのだろう、この木からいっぱい梅がとれたら、どうするつもりだったのだろう?
ありがとう、おとうさん。今日は粉袋に半分も梅の実をいただきましたよ。