手
並んだふたつの手、それは従順な生き物のように、もしくはよくできたロボットのようにパン生地をつまみ、折りたたんでいく、次から次へと決まった手順、決まった動作。 「よくきちんと動くなぁ」 そーっと人の仕事を眺めるように感心しているのは僕であり、やっぱりその手とつながっているのも僕なんだけど、、、
まだ誰も作業に来ない朝ひとり、忙しくも静かに働いていると、そんな少し不思議な時間がやってくることがる。 四方田犬彦さんが、こんな詩を書いている。
「パンのみにて生きる・4」
指には名前がない きみが捏ねるこのパンは 炉の中で等しく膨らみ 等しく焼かれ どのパンとも区別がつかない
胡桃を入れてみようか 蜜を溶き混ぜてみようか 心はさかしらに考える だが 指は白い泥と期待を捏ねあわせるだけ
名づけられることの憂鬱 形を定められることの悲しみ でも きみがこねるパンには記憶がない きみの忠実な指のように
誰かが明け方に口笛を吹きながら きみの焼いたパンを買ってゆく 捏ねられて焼かれたパンと 捏ねられて焼かれた泥は どこが違うというのか
焼きあげられたパンの見事さ 名づけられもせず ただそこに置かれている その膨らみ その微かな焦げ目 その香りたつばかりの沈黙
―人生の乞食―