栗名月

ameen2007-10-23

今夜は、前回のメールニュースあとがきに少しふれた栗名月、十三夜の月でした。 前の満月を芋名月といい、今夜の月を栗名月、豆名月と呼んでお月見をするそうです。 なんで十三夜なんだろう、、、満月に少し欠けた風情が粋なのか、ワビサビでしょうか。 昔にはこの名月の夜に、誰の畑からも作物をとってもよいという習わしがあったとか、里芋を掘りだして河原で芋煮会をしたのだろうか。 そんなコミニティに育ったことのない者は寂しいものだ。
栗、豆とならんで「小麦名月」と呼ぶ地方もあるらしく、この夜の月の具合で小麦の豊作不作を占ったらしい。 長塚節の「月見の夕」は次のように始る。
「うちからの出が非常に遲かツたものだから、そこそこに用は足したが、知合(しりあひ)の店先で イヤ今夜は冴えましようぜこれでは、けさからの塩梅ではどうもむつかしいと思つてましたが、まあこれぢや麦がとれましよう、十五夜が冴えりやあ麦は大丈夫とれるといふんですから、どうかさうしたいものでなどゝいふ主人の話を聞いたりして居たので、水海道を出たのは五時過ぎになツてしまつた、 尻を十分にまくし揚げてせツせと歩るく、落ちかけた日が斜に照しかけるので、自分のかげはひよろよろとした尖つた頭になツて、野菊の花や蓼の花を突ツ越して蕎麥畑へ映る、それから粟畑、それから芋畑とだんだんに移つて行く・・・・」

http://www.aozora.gr.jp/cards/000118/files/4496_14869.html

ル・コパン求人案内

ameen2007-10-18

辻まことが山歩きのつれづれを書いたなかにムササビの話があったように思う。 もう本も失くしてしまったので、読み返せないのだけど、ある山の宿屋に泊まった折にそこのおばあさんが、傷を負ったムササビを飼っており、そのムササビが幾日かして傷が癒えると栃の実だか、栗の実だかの皮をおばあさんと一緒にむくのだという。 ムササビがホーとしているとおばあさんが「さぁさぁ、」とうながすとまたムササビは皮をむきはじめるのだ。 山ではそんなこともありましたさ、という風に辻まことは書いていたとおもうのだけど、それも僕の山での暮らしとごっちゃになった話かもしれない。
乗鞍には天然記念物「ヤマネ」というちいさな山のねずみがいて、屋根裏あたりをシュッと走ったりして小人とともに暮しているような気配をさせていました。 ニホンカモシカもおりました、妙にずんぐりしていて首も太く短く、思っていたすらりといた高山の動物とは違ったのですが、、、ジッと目を見つめ合いました。 熊も出ました、コンポストを荒らして小学校の校庭を三周して森に帰って行ったそうです。 ある日、隣家から雉鍋の誘いがありました。 ログハウスであるその家の大きな窓に雉が激突したというのです。 きっと大きな窓に山の景色が映っていてあわれな雉にはその先に森が見えたのだろう、ということでした。  これらのことは、みんなル・コパンの作業場から半径500mで僕が見聞きしたことです。
長野県乗鞍高原のル・コパンがパン職人を募集しています。
http://www.le-copain.com/

リゾット

ameen2007-09-24

「スペルト小麦粒とレンズ豆のリゾット」

スペルト小麦粒 80g
レンズ豆    80g
ベーコン    40g
ローリエ    2枚
ニンニク    1片
タカノツメ   1本
マッシュルーム 4個
いんげん    5本
トマト     1個
他 季節の野菜
塩       適量
コショウ    適量

1. フライパンにオリーブ油、ニンニク、タカノツメを入れて火にかけます。
2. ニンニクのよい香りがしてきたら、スペルト小麦粒、レンズ豆、ローリエを入れ、中火でしばらくいため、マッシュルーム、いんげんを加えてさらにいためます。
3. フライパンにひたひたに水を加え、やや強火にする。
4. トマトと塩、コショウを加えてスペルト小麦粒、レンズ豆が柔らかくなるまで、中火で20分から30分ほど煮ます。
5. 中で水分が少なくなってきたら水を足してやり、最後に味見をして、出来上がりです。


「1955年、感謝祭のための買い物リスト」
 蛤
 肉
 パセリ
 大蒜
 塵取り
 ヘアピン
 茸
 ブランディ?
 ワイン
 ロースト用鍋

ダイアン・ディ・プリマの詩を思い出した。
中上哲夫さんの訳。

http://www.interq.or.jp/sun/raintree/rain16/list.html

ameen2007-09-10

並んだふたつの手、それは従順な生き物のように、もしくはよくできたロボットのようにパン生地をつまみ、折りたたんでいく、次から次へと決まった手順、決まった動作。 「よくきちんと動くなぁ」 そーっと人の仕事を眺めるように感心しているのは僕であり、やっぱりその手とつながっているのも僕なんだけど、、、
まだ誰も作業に来ない朝ひとり、忙しくも静かに働いていると、そんな少し不思議な時間がやってくることがる。  四方田犬彦さんが、こんな詩を書いている。

「パンのみにて生きる・4」
指には名前がない  きみが捏ねるこのパンは  炉の中で等しく膨らみ 等しく焼かれ  どのパンとも区別がつかない
胡桃を入れてみようか  蜜を溶き混ぜてみようか  心はさかしらに考える だが  指は白い泥と期待を捏ねあわせるだけ
名づけられることの憂鬱  形を定められることの悲しみ  でも きみがこねるパンには記憶がない  きみの忠実な指のように
誰かが明け方に口笛を吹きながら  きみの焼いたパンを買ってゆく  捏ねられて焼かれたパンと  捏ねられて焼かれた泥は どこが違うというのか
焼きあげられたパンの見事さ  名づけられもせず ただそこに置かれている  その膨らみ その微かな焦げ目  その香りたつばかりの沈黙

―人生の乞食―

http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/tokyo/jinbunya31.htm

大きな蝶

ameen2007-09-04

夏は終わった! とパンコウバ前の植木にとまったアオスジアゲハが宣言していった。 わかっているよ、もうパンも焼き始めたのだから、、、パンコウバは変わらず暑いけれど、外にでると空気の匂いが違うね。 もうとうに蝉たちも去ってしまった、あんなにうるさかったのに、、、(フランスから来た友に、あの音はスプリンクラーの音に似ている、朝早くからどこで回しているかと思った、と泊まった朝に言われた。)
そんなこんなも過ぎ去っていく、ハジマリガアレバオワリガアル、そんなコトバも秋がきた証拠かな。

旬の宮崎

ameen2007-08-27

パン屋の夏休み、宮崎日南地方に行きました。 ペラペラ印刷された東国原さんが、あちこちでにっこりと迎えてくれました、いまが旬のそのまんま宮崎です。
日南市飫肥・オビという町で友人が小さなパン屋を始めたので、遊びに行ったのです。 飫肥は山あいの城下町で小さいながらも、というか小さな町だったからでしょうか、武家屋敷や商人通りがさほど観光化されずに往時のふんいきをよく残した町です。 背の低い家々と苔むした石垣、南方風の庭木がくっきりした南の陽射しのもとに静かにたたずんでいました。
友人のパン屋は、民家を改造したつくりでパンの販売も玄関先です。 大きな通りに面しているわけでもなく、よくお客さんが来るなぁ、と思うのですが、ゆっくり飫肥の町を歩いてみると、やはり同じように民家にちょこっとガラス棚を作り付けただけのおそうざい屋さんやてんぷら屋さんがあって、あぁ、こんな感覚なら友人のパン屋もこの町で受け入れられるだろうな、と思ったのでした。 ガラッと引戸を開けておばあちゃんが”パンはある?”といってやって来ます。
それから海に行ったり、貝殻を拾ったり、海に行ったり、また海に、、、やっぱり南の海はいいです。
帰りの日、宮崎市内で向こうから自転車に乗ったお姉さんとすれ違いました。 お姉さん、片手乗りでハンドルから少し離した手には大きなビニール袋を提げていて、よく見ると中には”くの字”になった一匹の大きな魚が袋ごとゆらゆらしていました。 これからお家でさばくのでしょうか、なにか寄り合いがあるのでしょうか、その自転車姿が爽やかだっただけに、その魚状に曲線を描くビニール袋とそのバランスをとるお姉さんの手が印象的でした。
なにか地方の底力を見たように思ったのです。



madhu−pan マドゥ・パン・無添加天然酵母パン
宮崎県日南飫肥 金・土・日・月 10時から15時 0987-25-3620 

ママン プックワ?

ameen2007-08-11

フランスから友人が家族でパンコウバを訪ねてくれました。 彼らもパン屋、フランスの全部で150人ほどの小さな村で薪で窯を温め、パン種からパンを発酵させて大きなパンを焼く、手仕事のパン屋さんです。
数年前、僕は彼らを訪ねて行って、もうそのまま居ついてしまおうかと心がざわめいたほど素敵な村であり、その仕事ぶりでした。
家族3人、フランス生まれのパパ、日本生まれのママン、ネパール生まれの娘さん、そう、今回彼らは3歳と4ヶ月になるネパール生まれの女の子を養女にして連れて来ていました。 かわいいかわいい女の子、インド系ネパーリーの大きな目をして薄茶色の肌をして、、、ママン プックワ? ママン プックワ?と幼いことばでしきりにいうので、“どうして? 何で? プックワ?”というフランス語をひとつ、この夜に僕は覚えたのでした。
その夜、パンコウバでみんなでたこ焼き、お好み焼き、かき氷、花火をしてプチ夏祭りをしました。翌日には、近くの六甲山に行って川遊びもしました。 僕の8歳になったちいさな友も一緒です。ママンと呼ばれるようになった友人とポツリポツリと近況を話していながら、僕は静かによかったなと思っていました。
今、ここで川で遊んでいる5人、その誰もがなんの血のつながりもなく、それぞれお互い言葉もおぼつかなく、それぞれがそれぞれの肌の色の背景をもちながら、そうして共にいる、家族であり、友人であり、ハートでつながっている感じがしたからです。
非常に個的なプライベートな小さな集まりだけど、そこには大きな世界の響みたいなものが見えたように思いました。
パンコウバの夏の一コマです。